――そして田村和宏さんとプロレスリングHEAT-UPを設立しましたね。
翔太:1年いませんでしたけど(苦笑)。グルクンマスクさんに「琉球ドラゴンプロレスリングを立ち上げるから手伝ってくれ」と言われました。
当初は東京と沖縄を往復する生活を送っていましたが、体力的にも金銭的にも苦しくなり「沖縄で頑張ろう」と決意し、約1年沖縄にいましたね。
――その後、沖縄から戻られてガッツワールドプロレスリングに参戦。この頃の翔太さんはプロレスを楽しんでいるように見えました。
翔太:楽しかったですね(笑)。沖縄と東京を往復している時、たまにガッツワールドで試合をしていました。
2014年10月にガッツワールドが初めて後楽園大会を開催するタイミングで「入団しないか」と話がありました。
団体も後楽園初進出という勢いがすごく良くて「よし、やろう!」と思って入団。ガッツワールドは学プロ出身者ばかりで雰囲気も好きでした。
【DDTプロレス MAO】「違和感」を大切にしていきたい(前編)
中学生の時、友達とプロレスごっこした動画がキッカケでプロレスデビューしたMAO。DDTプロレスの若手ユニットThe 37KAMIINAに所属、リング上で予測不能な戦いを魅せる。…
その後、ガッツワールドはダイスケさんの引退、それに合わせてミスター雁之助さんも引退され2018年に解散しました。
その後どこに行くのか考えていませんでした。一旦2週間だけアメリカに行こうと。そしたらガッツワールドが解散を発表して最初にガンバレ☆プロレス(=ガンプロ)が声をかけてくれました。