――高校の野球部の人たちは翔太さんの目標に引きずり込まれましたね(苦笑)。それで大学入学と同時にプロレスを始めたのですか?
翔太:「体が小さくて野球部でもレギュラーになれなかった僕が果たして本当にプロレスラーになれるのか?」と思い、高3の頃インターネットで自分なりにいろいろ調べました。
すると日本にインディー団体があることを知りました。それまでは全日本プロレス、新日本プロレス、プロレスリングNOAHのメジャー団体しか知らなかった。
「大日本プロレス?KAIENTAI DOJO?『プロレスラーになりたい人、履歴書を送って下さい』」と書いてある。でも本当にレスラーになれるのか。これはアメリカに行ったほうが良いのではないか?でもいきなりアメリカに行っても無理だ…本当にいろいろ考えましたね。
高校が進学校だったので生徒の7,8割は大学進学でした。親からも「大学は行った方が良いんじゃないか?」と言われ進学を決めました。ただ大学に行く目的がない。いろいろ調べるうちに「学生プロレス(=学プロ)」の存在を知りました。さらに調べを進めると「UWF関東学生プロレス連盟」というのがヒットした。どうやら学プロの規模では1番大きいらしい。
実は僕が大学に入る前から学プロの人口が減って「◯◯大学」という括りがなくなりました。複数の大学から構成するスポーツサークルを「インカレ」と言いますが、同じように色々な大学の人たちを集まったのが『UWF関東学生プロレス連盟』です。
練習は高田馬場のスポーツセンター、畳のある柔道場があって入学前の3月に連絡しました。そこで入学式が終わった週から練習に参加していました。
――翔太さんが学生プロレスをしていた頃は選手層が厚い時代だと聞いたのですが、当時のライバルや学プロ事情を教えて下さい。
翔太:僕の世代は結果そんなに残らなかったです。高尾(蒼馬)も4月後半から『UWF関東学生プロレス連盟』の練習に来ていました。僕と最後まで残ったテレフォン倉野が4月の第1週から練習していました。1年生は多くなかったです。確かに2年生3年生は選手層が厚かった気がします。
――学生時代、翔太さんと一緒に活動していた学プロの選手でプロレスラーとしてデビューされた方はいますか?
翔太:僕が1年生の時、6年生くらいの年齢だった666(トリプルシックス)の山田太郎さんですね。僕が入学する2年前に卒業していますが、一番年齢が近い人だと太郎さんです。僕の上の世代でプロレスラーになる人は太郎さん以外いなかったですね。
<インフォメーション>
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また試合は動画配信サービスWRESTLE UNIVERSEで生配信されます。
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取材・文/北野ジン
写真提供/DDTプロレスリング