9.25ガンバレ☆プロレス後楽園大会で新井健一郎とのタッグ“ハッとしてgood”が持つIJタッグ王座の防衛戦を行う翔太。これまで数々のインディー団体を渡り歩いてきた。その軌跡を4回に渡って振り返る。(1)はプロレスに目覚めたキッカケから学生プロレス時代。
――翔太さんがプロレスに興味を持ったキッカケを教えて下さい。
翔太:最初は友達の家で遊んだNINTENDO64のプロレスゲーム「バーチャルプロレス2 王道継承」です。それがプロレスとの最初の接点だと思います。
――ちなみにその時は、どのレスラーを選択しましたか?
翔太:僕は小川良成さんを使っていました。あのゲームは全日本プロレスや新日本プロレスのレスラー、FMWやみちのくプロレス、UWFの選手も実名で出てきました。僕は全日本プロレスの選手を使って遊んでいました。
当時、僕は野球が好きで巨人ファン。CSにG+(ジータス)というジャイアンツの試合を必ず流すチャンネルがあります。あの頃は当たり前のように地上波で毎日午後7時から巨人戦が放送されていた。でもG+は毎日午後6時から放送、「プレイボール」の瞬間から観ることができました。
ただインターネットがなかったので巨人戦の日程を知らない。とりあえず家に帰ったらG+をつける。でも月曜日はセリーグ戦がなく、その日ちょうど放送していたのがプロレスリングNOAHだったんです。で「ゲームの中の人がいる」と思って(笑)。
それで毎週のようにプロレスリングNOAHの中継を観始めたのが小学6年か中学校1年ぐらいですね。だからプロレスのきっかけはゲーム「バーチャルプロレス2 王道継承」であり「プロレスリングNOAH」です。
――プロレスのために柔道や格闘技は習いましたか?
翔太:いや、やらなかったですね。格闘技全盛時代、大みそかは民放ほとんどのチャンネルで格闘技が放送されていました。クラスにプロレスファンはいなかったし同じ学年にもいなかったですね。みんなが格闘技ゲームをやっていた頃、僕はプロレスの方が面白いしプロレスリングNOAHが最強だと思っていました(笑)。
――だから今日の服も緑なのですね!
翔太:たまたまです(苦笑)。中学は陸上部に所属、「プロレスになろう」と思っていなかったです。あくまで野球好き!だけど僕が中学の時、顧問の先生が不在で野球部がなかった。「とりあえず体力をつけておけば高校行って野球ができるだろう」と考え体力作りのために陸上をやっていました。そして高校で念願の野球部に入りましたね。