――リング上の動きを見ていると、子供の頃から運動神経は良かったのかと思っていましたが?
勝俣:よく言われるんですけど、バク宙ができるようになったのも、DDTに入ってからですね。(笑)
実は、10代の頃にアマチュアプロレスというのをやっていました。これは学生プロレスを経験したOBの方達が、学生プロレスを辞めた後に、スポーツセンターの柔道場を借りて練習したり、無料の大会を開催するもので、17歳から参加させてもらいました。
正直、10代の頃は「将来プロレスラーになるから学歴は関係ない」という考えを持っていました、若かったので。(笑)
高校を中退した後にアマチュアプロレスに出会い、定期的にリングに上がっていましたが、翌年18歳でTAJIRIさんのSMASHに入団。
ここで半年くらい練習させてもらいましたが、その後はプロレスと距離を取ることになり、20歳になるまでは、夜勤の仕事をしながら日々過ごしていました。
そんなある時、仕事先に向かう途中で、ももクロさんの「CONTRADICTION」という曲を聴いて、歌詞に「夢」という言葉があったんですよ。
ふと「僕の夢ってプロレスラーになることだったなぁ…」と思いまして。20歳だし、もう一度プロレスラーになれるか挑戦してみて、ダメならキッパリ諦めようと思い、父に相談しました。
その時に父が、「ちょうど今、DDTが練習生を募集しているよ」と情報をくれまして、「入門テストなし練習生」の募集に応募しました。2013年1月のことです。
ウラノさんや大石さんなど、応援している選手がDDTに在籍していたこともあり、その後、入団に至りました。
――勝俣選手は、テストなしで入団したのですか?
勝俣:そうです。2013年2月のユニオンの新木場大会の時、企画に応募してきたメンバーの「顔合わせ」があると言われました。
12〜13名が集まり、控室で社長の高木三四郎さんに挨拶をしましたが、練習初日には12~13人いた練習生が半分に減っていました。(笑)
辞めた人は、親に言わず履歴書を送って、顔合わせのあと、練習日程などを知り反対されたんでしょうね。
練習初日、コーチに1人の練習生が駆け寄り、「家庭の事情で出来なくなりました。今までありがとうございました!」と言って、そのまま帰って行きました。(笑)
残ったメンバーが4名で、そのなかには、今は退団した宮武俊(みやたけ すぐる)もいましたが、その時のメンバーでいまも残っているのは僕だけです。
ーー若手主体の興行もありましたよね?
勝俣:「DNA」です。僕はDDTでデビューしてDNAに移籍しました。最初は若手興行だと思っていましたが、DNAで活動していくうちに「この団体を大きくしていくんだ」という気持ちが芽生えて、みんなで一致団結していましたね。