――その二つの選択肢ですか(笑)。

鈴木:総理大臣にはなりたくないけど、社長はなりたい。それで社長にこだわっていたのはありますね。イギリスから帰国し自問自答した時、「やはり社長になりたい」と。ただ「すぐになりたい」ではなく「何年でなれるだろう?」と考えました。

イギリスから帰国したのが22歳、様々なことを考慮し「35歳くらいに社長になろう」と決意しました。そのためにパチンコホールや広告代理店など、いろいろな場所で働きました。実は「リデットエンターテインメント」は自分で創業した会社ではありません。

約20年前、エス・ピー広告(2018年10月より「リデットエンターテインメント」へ社名変更)に入社した時は勢いがあり人を多めに採用、社長も高級車に乗っていました。

しかし、あとから入社した人の給与が元々働いていた人より高く、その方々がクライアントを連れて独立。それで経営が傾き、当時のオーナーより私に話がありました。その時点で社員は10名くらいしか残っていません。そこでオーナーに「全部、任せてくれるならやりたい」と話し、入社に至ります。

最初から創業者に五カ年計画・十カ年計画を提出し、計画通り一つずつクリアしていきました。そして37歳の時、代表権を私が預かりました。

――計画を立て、その通り結果を出したのですね。ところでどのタイミングでプロレス事業と関わるようになったのですか?

鈴木:新日本プロレスさんが厳しい時代に知り合ったのが、当時新日本の執行役員で現在NOAH取締役の武田有弘さん。うちの現専務が新日本プロレスさんに電話したらたまたま武田さんが出て、そこから新日本プロレスさんの広告販促部とやりとりが始まりましたね。

販促物の仕事をいただきながら、新日本プロレスさんを応援する形でチケットを購入し社員や顧客の方々と会場に足を運びました。あの頃は仲間達とプロレス観戦するくらいで「団体を設立しよう」とは思っていませんでした。

僕は「プロレスは社会の縮図」だと思っています。会社の社員や取引先の方々と一緒にプロレス観戦をすることで、「いろんなことを学んで貰えたらいいな」と思い多くの仲間たちと足を運んでいました。東京から福岡まで数十人と一緒に観戦ツアーもしましたね(笑)。

1 2 3 4 5

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

Share me!
  • URLをコピーしました!
目次