――西コーチも、瀬立選手の言葉を聞いて「東京に向かって頑張ろう」という気持ちになりましたか?
西:そうですね。今考えてみると、リオでは体力的にも技術的にも、まだまだ未熟でした。だからまず、選手としての土台を作る必要がありました。それについては、私とモニカで話し合い、慎重に「何をすべきか」を決めていきましたね。
地道に少しずつ丁寧に体を作り上げ、最高の状態でを東京パラリンピックに出場する。これがリオ大会を終えてから新たに定めた目標です。
――2人3脚で東京パラリンピックを目指していったのですね。その後は、どのように取り組んでいかれたのでしょう?
瀬立:2017〜2018年の2年間は、東京パラリンピックに向けた“種まき”をし続けました。リオまでは「やれることを、できる限り頑張ろう」という考えだったのが、大会を終えてからは「できないことを、どうすればできようになるか。そのために何をしたらいいのか」ということを考えるようになったんです。
具体的に言うと、今まで大学では競技の練習ができなかったけど、どうすれば練習ができるようになるのか。その環境を整備するために、大学の人と交渉したり、友達に何かを手伝ってもらったり。そういった“種まき”を2年かけてやってきました。その段階で、アスリートとしての人格形成は育ったのかな、とは思いますね。
――東京大会という未来から逆算して、行動を考えたのですね。それは、悔しい結果ではあったものの、リオ大会でパラリンピックの雰囲気をしっかり感じることができたからこそ、「何をするべきなのか」が明確に描けているように感じます。
瀬立:まさにその通りです。やはりイメージできるのと、できないのでは全く違うので。今回初めてパラリンピックに出場する人は、「パラリンピックがどういう舞台なのか」を具体的に頭の中で描けないと思うんですね。
そういう意味では、自分がリオパラリンピックを経験できたということは、私にとっても、日本カヌー界にとっても大きなアドバンテージになるのかなと思います。
――昨年9月には、東京パラリンピックと同じ会場で行うテストイベント『Ready Steady Tokyo』が行われました。それによって、さらに本番に向けたイメージが湧いたのではないですか?
瀬立:そうですね。実際、その会場で「メダルを取る」イメージをつけるために、最低でもメダル獲得という目標を決めて臨んでいました。
結果的に3位でメダルを取ることができましたし、プレ大会でも表彰式に出させて頂いて、地元からの声援も受けて「こういう雰囲気の中、メダルを取るんだ」と。そういうイメージができたので、いい経験になりましたね。(前編終わり)
<後編はこちら>
(※この記事の取材は2020年2月に行われました)
取材・文/大楽聡詞
編集・写真/佐藤主祥