【パラカヌー・瀬立モニカ】東京パラに向けて「メダルを取るため」の種をまく。リオの経験を活かした施策(前編)

東京パラリンピックのカヌー代表に内定している、瀬立モニカ選手。18歳で初出場した2016年リオパラリンピックで8位入賞を果たし、地元である東京・江東区の海の森水上競技場で開催される東京大会では、日本人初のメダルが期待されている。そんな瀬立選手と、彼女を支える西明美コーチに話を聞いた。

――瀬立選手がカヌーを始めたきっかけを教えて下さい。

瀬立カヌーと出会ったのは、私が中学生の頃。まず、地元の東京・江東区は河川が発達しているので“水彩都市”を謳っているのですが、その河川を利用して「何かスポーツができないか」という話になり、最終的にカヌーが選ばれたんです。それから色々な河川の乗り場にカヌーの拠点を作っていき、2009年に「江東区中学校カヌー部」が誕生しました。

そのカヌー部の担当者が、中学校の校長先生に「誰かカヌーをする人はいないか?」と相談されて。カヌーといえば「水」、水といえば「水泳」と連想し、水泳をしていた私に白羽の矢が立ったんです。それを機に、友達と一緒にカヌー部に所属し、本格的に競技を始めました。

――競技用のカヌーは乗るのが難しいと聞きますが、最初から乗れましたか?

瀬立それが、はじめは全然乗れなかったんです。カヌーは体が小さい人の方がバランスを取りやすいのですが、私は体が大きかったので、乗れるまでは苦労しましたね。

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――中学卒業後も競技を続けることは決めていたのですか?

瀬立はい。2013年に東京で国体が行われることが決まっていて、担当者から「高校に入学しても、ぜひ続けてほしい」と仰っていただきましたので、そのままカヌー部に籍を置いていました。

しかし、高校1年生の時、体育の授業中に怪我をしてしまって…。カヌーだけじゃなく、スポーツ自体できなくなってしまったんです。それから約1年は勉強だけ頑張っていました。怪我をしてから半年くらい学校に行けなかったので、その間に猛勉強した結果、下がった成績を1年で取り戻せましたね(笑)。

そんな時、東京パラリンピックが行われることが決定したんです。江東区で「地元から選手を発掘しよう」という声が改めて上がり、区の協力で環境整備が始まりました。船を乗れる場所をバリアフリー化したり、指導コーチを依頼してくれたり、カヌーを購入してくださったりと、行政レベルで動き出したんです。

その事業に携わっていた方が、「現在スポーツはしていないけど、カヌー経験者がいる」ことを知り、私に声をかけてくださいました。それがパラカヌーを始めた一つのきっかけですね。

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