――紆余曲折ありプロレスデビュー、2015年にDDT最高峰のベルトであるKO-D無差別級のタイトルを獲得しました。その時の気持ちを教えてください。
坂口:もう頭が真っ白でしたね。精神的にも肉体的にも大変な戦いでした。両国国技館という大きい会場のメインで、最初「自分が勝った」という実感が、あまりないんですよ。
自分の技をかけているし、フォールをしているけど、その実感がない。ベルトが目の前にあるんですけど、頭の中は真っ白…。少しずつ時間が経つにつれ実感し、改めてベルトを見た時は感無量でした。
やりたくてもやれなかったプロレスのリングに立てて、KO-D無差別のベルトも巻くことができた。結構クソみたいな人生だったんですけど、「頑張って生きていれば、見てくれる人は見てくれるんだ」と、KO-Dのベルトを手にして思いましたね。プロレスを諦めずに続けてきて良かったと思えるシーンの一つでした。
――当時、KO-D無差別のベルトを戴冠したのは、プロレスラーとしてデビューして3年目でしたが、その中で一番印象に残ったシーンということですか。
坂口:幼少期からですね。物心ついてレスラーになりたかった、でもなれなかった。総合は総合で好きだったけど、いろいろなことが重なって辞めた。
その後、色々な話があったけどプロレスができない。でも、ようやくプロレスラーとしてリングに立つことができた。そう言った人生全ての中で、一番印象に残る1日でした。
―― 印象に残る一日になったとのことですが、両国国技館のメインは、プレッシャーとの戦いでもあったかと思います。その辺りはいかがですか。
坂口:2015年8月の両国大会の前、6月に行われたトーナメントで優勝し、KO-D無差別の挑戦が決まってから、メンタルがやられましたね。結構プレッシャーが掛かってきて…。
正直、眠れないし飯も喉を通らないという日が続きました。そのプレッシャーと闘っている時「普通の人だと、このプレッシャーに潰されてダメになる」と感じました。そのくらい、追い詰められましたね。
総合の時も減量とか経験し、眠れなくて真っ暗な部屋の中で体育座りしているとか…。(笑)でも、それとは違ったプレッシャーがあるんですよね。
――それは、プロレスは戦うだけではなく、観客を楽しませるという部分も含まれますか?
坂口:「戦う」という部分では、総合もプロレスも同じですが、全く似ても似つかない競技だと思っています。ある意味、対戦相手だけでなくお客さんとも闘っているのが、プロレスなので…。
いろいろなプレッシャーが襲ってきて、普通の人なら絶対に押し潰されてしまうと考えていました。
――そのような中、プロレスラーとして8年の時間が経過しました。振り返っていかがですか。
坂口:そうですね。「まだ8年しかやっていないのか」という気持ちもあるし、「8年もやっているのに何やっているんだ」という思いもあります。さまざまな気持ち混じり合っている8年ですね。だから6年目くらいから数えないようにしました(笑)。