【DDTプロレス 坂口征夫】紆余曲折の末 たどり着いたプロレスのリング(前編)

3月の後楽園ホール大会、他団体に流出しているDDT最高峰のベルトKO-D無差別級王座を取り戻すべく、DDTプロレスの“最後の砦”竹下幸之介はZERO1・田中将斗と一騎打ちに挑むも、奮闘むなしく敗退。試合後に勝ち名乗りを受ける田中の前に現れたのは、坂口征夫だった。デビュー8年目の坂口が4月12日新宿FACEで至宝ベルト奪還へ。その大事な戦いを前にDDTプロレスリングの坂口に話を聞いた。

――プロレスを始めたきっかけを教えてください。 

坂口親父がプロレスラー(坂口征二)で、同じ道を目指したけれど挫折し、総合格闘技の道に入りました。しかし、首を始め怪我が重なり、総合は引退。

その後、身体の体調が回復し、たまたまDDTプロレスリングが主宰している「ハードヒット」という格闘技系の大会があり出場し、DDTの社長である高木三四郎さんに「プロレスやりたいんでしょう?DDTのリングに上がりませんか?」と誘われたのがきっかけで、DDTのリングでデビューしました。

―― 先に総合格闘技デビューでしたが、プロレスには興味がありましたか? 

坂口プロレスやりたかったですね。ただ、やりたくてもやれない状況、プロレスというものが目の前にあっても、掴めないという状況が続きました。ですから自分の中では「これって、プロレスをやっちゃいけないんだろうな」と思っていました。

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―― 学生時代から柔道をされていますよね?

坂口中学・高校と柔道やっていました。それはプロレスをするためのバックボーンとして捉えていて、物心ついた時から、ずっと「プロレスラーになりたいなぁ」と思っていました。

 子供の頃って、公園に遊びに行きますよね。その場所が、自分と弟(坂口憲二)にとっては道場やプロレスのリングだったり、近所にいた兄さんがプロレスラーだったりとかするような環境にいました。いつの頃から、プロレスを「家業みたいなもの」と感じていました。

 しかし、身長が低かったり自分の気持ち的な問題があって、20代で1度プロレスラーになるのは諦めました。その後、総合格闘技(以下総合)を経験し、何度かプロレスをやれそうな機会が訪れるんですが…。

「届きそうで届かない」という状況が、何回も繰り返されるわけです。 39歳の時、高木さんに出会い誘って頂きましたが、これまでのこともあるので「プロレスはやれない」と思いました。

以前と違って、自分としては総合も経験したし、気持ち的な部分でもリングに立つ準備はできている。でも、あと一歩のところでプロレスへの道が、様々な理由で閉ざされてしまいました。ただDDTに関しては、その道がつながっていたんですね。 

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――レスラーとして、39歳のデビューは遅い方だと思いますが、不安とかはありませんでしたか? 

坂口年齢的なものは全く感じませんでした。総合デビューも33歳の時だったので遅咲きじゃないですか。20代前半でやるべきことですけど、20代は遊び歩いていたので。(笑)

ただ、そういう時期があったからこそ30代で総合デビューし、30代後半のプロレスデビューがあるので、年齢に関して一切気になりませんでしたね。

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