――それほど悔しい試合だったのですね。超ヘビー級で195cm、140kgの石川修司選手との戦いはいかがでしたか?
竹下:僕が当時90kgなので、石川さんの体重は1,5倍くらい重いんですよ。ただ、その頃ウエイトトレーニングを本格的にしていたので、重さに対する戦いづらさはなかったですね。ぶつかり合った時の衝撃で、戦った後にボロボロになりましたが(笑)。
というのも、お互い体が大きくて、スピードもあるので、ぶつかった時はダメージが大きいんです。石川さんは体の大きさに加えて頑丈さも兼ね備えていますから、ラリアートを打った僕の方が、ちょっと肩が外れるということもあるくらい(笑)。
――それは、かなり衝撃が凄かったんですね。逆に戦いづらい選手はいますか?
竹下:若手の頃は、男色ディーノさんとの試合はやりづらかったです。当時はプロレスに対して柔軟ではなく、「俺のプロレスはこうだ」という思い込みがあり、試合を成立させようとは思っていませんでした。
「勝っても負けても、僕のプロレス観がブレなければ良い」と思っていたんです。でも、今は大人になったので大丈夫です(笑)。
――プロレスに対しての考え方が変わったのは、なぜでしょう?
竹下:一度、KO-D無差別級のチャンピオンになって、最多防衛記録を作っているとき、秋山さんや他の方々と戦って、一気に自分のプロレスに対する価値観や視野が広がったんです。相手に合わせるわけではないけど、相手の技を吸収した上で勝つ、というのが美学になりました。
――猪木さんの“風車の理論”ですね。「相手の力を最大限に引き出して、それ以上の力でそれを倒す」という。
竹下:デビューして3〜4年目は、相手の力を引き出さずに自分の力10を出していたのを、相手の力を受け切った上で自分の力を10を出す、ということの重要さを知りました。そのことに気付くまでは、レスラー人生でも一番もがいていましたね。
試合が楽しくないわけではありませんが、当時はすでにプロレスの世界を知り尽くしたような気になって、正直、飽きていたんです。
そんなとき、両国国技館やさいたまスーパーアリーナのメインに立たせてもらえる機会があって、何人かの選手かと戦ったとき、今いる世界から、一気に“次の部屋”に入れたような感覚に陥ったんですよ。
言葉で現すのは難しいですが、その部屋は、今まで自分がいた部屋より広く、壁がどこにあるのか分からないくらい大きくて。「自分は今、どこにいるんだろう」と。
それまでは6畳くらいの狭い部屋で、「これが大人の世界か」とプロレスの全てを分かった気になっていました。要するに、プロレスに関して、6畳の部屋に収まる程度の面白さしか理解できていなかったんです。でも友達の家に行ったら「めちゃくちゃ広いやん!」って(笑)。
僕が知らないところには、もっとプロレスの魅力がたくさんあるんだなと、気付くことができたんです。 僕はリングの上で戦うレスラーであると同時に、ファン歴22年の大のプロレス好きでもあります。
こんなことを言うとファンの方に失礼なのですが、プロレスには「触れないと分からない面白さ」がある。それを追い求めていくのが、今は本当に楽しいんです。(前編終わり)
<後編は、こちら>
取材・文/大楽聡詞
編集・写真/佐藤主祥