「文化系プロレス」として、プロレスの概念を吹き飛ばす発想でファンを魅了し続ける団体「DDTプロレスリング」。昨年末、DDTではシングルマッチのリーグ戦「D王 GRAND PRIX」が行われ、ZERO1の田中将斗が優勝。続く1月26日の後楽園ホールではHARASHIMAを破り、DDT最高峰のベルトKO-D無差別級王座を獲得した。2月23日にはMAOが田中に挑んだが、善戦むなしく敗退。DDTの“最後の砦”として、3月20日の後楽園ホール、竹下幸之介がベルト奪還に臨む。その戦いを直前に控えた今、DDTの竹下幸之介に話を伺った。
――竹下選手がプロレスに興味を持ったきっかけを教えてください。
竹下:プロレスが好きになったのは僕が3〜4歳の頃。実家が焼き鳥屋を経営していまして、お店終わりで両親が定食屋にご飯を食べに行った時に、ちょうど深夜2時くらいで「ワールドプロレスリング」が放送していて。
その影響でプロレスを見始めました。 当時、僕は仮面ライダーやウルトラマンが好きだったのですが、親父が「アントニオ猪木という人の方が強いんだぞ」と大阪人特有の冗談を話していまして(笑)。
だったら、一番強い人がいるプロレス以外は見る必要がないな、と。周りの幼稚園児が仮面ライダーやウルトラマンに興味を持っていたなか、僕はプロレスに熱中していたんです。
――お父さんの英才教育にハマったんですね。その時、記憶に残っている選手はいますか。
竹下:猪木さんからプロレスに入って、特にゾッコンになったのはグレートムタです。おじさんたちが闘うなか、一人化け物が闘っていたので(笑)。加えて獣神サンダー・ライガーですね。子供の頃の僕には、マスクマンという概念がなかったものですから。
当時はレンタルビデオしかプロレスを観る手段がなかったので、お店で貸し出ししている「新日本プロレス」と「みちのくプロレス」のビデオは一通り見ましたね。 その後、大仁田厚さんが立ち上げた「FMW」のデスマッチを見るようになりました。電流爆破が、子供ながらに面白かったんですよ。
――子供の時に電流爆破を面白いと感じたのですか!?
竹下:仮面ライダーでも爆破シーンがありましたよね。電流爆破を、それと同じ感覚で見ていたんです(笑)。だから子供の頃は、スタントマンとかレスラーとか、自分の中で区別はありませんでした。
――ストロングスタイルの新日本プロレスから、ルチャをベースにしたみちのくプロレス、そして電流爆破のFMWと、振れ幅がすごいですね。
竹下:時代ですよね。特にFMWに関しては、親にビデオを毎週2本ずつ借りてもらっていたら、近所の3店舗のレンタルビデオ屋を全て制覇してしまったんですよ(笑)。
すると、親が「継続的にビデオを借りると料金が馬鹿にならない」と言うので、小学校2年生の誕生日プレゼントに、有料チャンネルの「サムライTV」に加入してくれました。そこでハマったのが世界最大のプロレス団体「WWE」です。とにかく「スゲェー!」と感動しましたね(笑)。
それまでは、ビデオで過去の試合を見ていたけど、サムライTVで毎週、新たに展開するストーリーを追える楽しさを知りました。 そこからアメリカのプロレスを観るようになり、全世界のプロレスが好きになったので、DDTの高木社長にモバゲーで履歴書を送ったんです。