【プロレスリングWAVE 旧姓・広田さくら(2)】「プロレスがやりたかった」自分の気持ちに正直になれました

現在プロレスリングWAVEの最強の称号Regina di WAVE王座を持つ、旧姓・広田さくら。元々プロレスに興味はなく、たまたまテレビで観た選手の「技をかけられたい」と女子プロレスラーを志す。今回は広田選手の「GAEA JAPAN時代」の話。

<(1)はこちらから>

――1995年、GAEA JAPANに入団してから本格的なトレーニングが始まったのですか。

広田:オーディションは体力がなくても騙し騙しで良かったけど、練習は言い訳できないのでキチンと取り組みました。

私の場合、すごい女子プロレスが好きでGAEA JAPANに入門したわけではなかった。他の人は想像していた華やかな世界と違い下積み時代の辛さで逃げていく人が多かったけど、私はプロレスに夢を持っていなかったので「こんなもんだろう」と受け入れていました。それなりに練習は厳しかったけど辞めませんでしたね。

――デビューが1996年の日本武道館。長与千種さんと組んで、アジャ・コング、田村欣子戦。

広田:その当時、「長与千種 vs アジャ・コング」が超目玉カードでした。私のことを「長与さんが連れてきた新人」としてアジャさん的に意識してくれたと思います。

――デビュー戦の試合内容を覚えていますか?

広田:録画された映像を見直しました。最後アジャさんの裏拳で敗れましたが、裏拳の前後の記憶がないです。正直、試合は覚えていませんね。映像を観て「こんなことをしていたのか」という感じです(苦笑)。

――GAEA JAPANでは広田さんが班長となりチームエキセントリックでの活動がありました。GAEA時代を振り返っていただけますか?

広田:自分の中で「コスプレ前」と「コスプレ後」に分かれています。面白い感じで試合をし始めたのがデビューして2,3年目くらいです。デビュー戦こそ華やかでしたが、その後鳴かず飛ばずの新人時代が続いていました。

「なんとかしなければ…」と考えを巡らせて思いついたのが「お笑い」でした。新人っぽくない立ち振る舞いをする新人。例えば先輩に楯突いたり口八丁手八丁だったり、「従来のプロレスではないこと」をやり始めました。

それが後のコスプレやチームエキセントリックに繋がっていきます。GAEA JAPANが10年。私は9年間GAEA JAPANに所属し「お笑い」を突き詰めていましたね。

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