既存のプロレスの概念を吹き飛ばす発想で、ファンを魅了する団体「DDTプロレスリング」。昨年末、DDTでは東京都・後楽園ホールにて「D王 GRAND PRIX」が行われ、他団体であるZERO1の田中将斗が優勝を勝ち取った。その46歳の“弾丸戦士”は、DDT最高峰のベルトKO-D無差別級王座への挑戦が決定。迎え撃つのは、現在KO-D無差別級王座とEXTREME級王座の“二冠王”HARASHIMAだ。1月26日、後楽園ホールでの戦いを直前に控えた今、DDTの“絶対的エース”に話を伺った。
――HARASHIMA選手がプロレスに興味を持ったきっかけを教えてください。
HARASHIMA:僕は物心ついた時から「強さ」に対してこだわりを持っていました。例えば、「ライオンと虎、どちらが強いんだろう?」「そこにアナコンダが来たらどうなるのかな?」とか、「実際、一番強い動物は何になるんだろう?」など、最初は動物を対象に「強さ」について考えていたんです。
その後、「人同士が戦ったら誰が一番強いんだろう?」と考え始め、人間の「強さ」に興味が湧いてきました。 僕が子供の頃は総合格闘技がなかったので、戦いといえば「ボクシング」「柔道」「相撲」、そして「プロレス」でした。他の格闘技と違い、プロレスは蹴ったり投げたりと色々なことが出来る。だから子供の僕は、プロレスが一番心惹かれましたね。
――では、子供の頃から何か格闘技を習っていたのでしょうか?
HARASHIMA:小学3年生から、プロレスと名前が似ているので、アマチュアレスリングのジムに通っていました。 最初はルールも分からずに始めて、本能のままに戦っていましたね(笑)。でもおかげで「ハーフネルソン(※レスリングの首攻めの一つ)」や「ブリッジ」など、レスリングの基本的な動きを身につけることが出来ました。
ただ、親の仕事の関係で転校が多かったため、残念なことにレスリングは1年しか通えなかったんです。 その後、中学では3年間空手を習っていましたが、高校からは何も格闘技はせず、スポーツすらしていませんでした。ただ黙々と自己鍛錬をするという感じで(笑)。
家の近くに竹林があるので、その木にクッションを巻きつけて蹴飛ばしたりしていましたね(笑)。もちろん腹筋や腕立てなどの基礎トレーニングはしていましたけど。
――そんな時期があったとは(笑)。そして高校卒業後、大学から学生プロレス(以下、学プロ)を始めたわけですね。
HARASHIMA:はい。僕が所属していた頃が一番部員数が多くて、30人を超えていましたね。先輩には新日本プロレスの真壁刀義さんがいました。 今振り返ってみても、結構ハードな学プロだったなぁと思います(笑)。
基礎練習の後には自由時間があったのですが、関節技の好きな人たちと寝技の練習をしていました。その頃は、まだ総合格闘技というのがなかったので、ひたすらグラップリングを研究していたことを思い出します。