79年日本シリーズ“江夏の21球” 当時出場していた当事者たちが回想するあのスクイズのシーン

選手としてグラウンドに立っていた当事者たちが伝説のシーンを語った(画像はイメージ)

25日、阪神の球団創設90周年を記念した企画「Tigers Legends Day」でサプライズ登場した江夏豊氏。

現役時代に残した数々の伝説の中に「江夏の21球」がある。

オールドファンには懐かしさも感じられるこの伝説を改めて振り返ると、1979年に行われた広島ー近鉄の日本シリーズ第7戦。

お互いに球団初の日本一をかけて行われた熱戦の最終戦、7回からマウンドに上がっていた広島不動のリリーフエース・江夏が9回裏最終回に投じた全球数のことである。

4−3と1点差で無死満塁という絶体絶命のピンチ。一打出れば逆転サヨナラ負けとなる場面だった。

近鉄の代打・佐々木恭介を三振に切って取ると次打者は1番に戻り石渡茂が打席に。初球カーブを見送りストライクとなると、2球目に今も語り継がれるシーンが生まれる。

投球と同時に走者が一斉にスタートを切り、石渡がスクイズの構えを見せた。すると江夏は外へ大きく外した球を投げ、石渡は食らいついてバットに当てようとするも空振り。

三塁ランナーの藤瀬史朗がアウトとなり2死。二・三塁となった。

ここで自ら走者を還したいところだが、江夏のカーブにバットは空を切り三振。ゲームセットで広島が日本一となった。

この場面について、試合に出場していた当事者同士が語られた。

当時まだ22歳ながら遊撃を務めた高橋慶彦氏が自身のYouTubeチャンネルで石渡氏をゲストに招いた。

石渡氏はまず打席が回ってきた時、「やってやるぞとは思うんですけども、西本(幸雄監督)さんから『スクイズもあるから、サインはよく見ておけよ」と言われていた。

そしてスクイズが出た2球目について。

「カーブが右から入ってきた。届かない距離ではなかった。必ず(バットに)当てなければいけなかったですが、当たらなかった。外から曲がってきたので」

高橋氏が「『普段スクイズあるからな』とか言わないですか?」と聞くと、石渡氏は手を横に振りながら「サインはありますけども、スクイズで点を取ったというのはなかったです。打って取っていたから」と答えた。

続けて「西本さんは『大毎オリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)でも満塁で…』とおっしゃっていましたね」と語る。

それは、60年に大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)と対した日本シリーズ、1死満塁でスクイズを試みるも併殺となってしまったシーンである。

西本監督は当時の永田雅一オーナーと対立して監督の座を退く結果となった。

伝説のシーンを振り返りつつ、球界の歴史を彩ってきたレジェンドたちの思い出話にも花が咲いた。

記事/まるスポ編集部

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