アスリートのための足首調整メソッド “足首姿勢改善ラボ”中村雅貴が追求する身体パフォーマンス向上の秘訣

資格取得後は、親元を離れ千葉県にある寮付きの整骨院に勤務。新たな環境で新生活をスタートさせた。しかし、整骨院での新人研修は予想を超えた厳しいものだった。

「3泊4日の研修は携帯没収、社訓を覚えるまで大声で復唱。挨拶の練習も喉を酷使するほど。最後はみんなで社歌を泣きながら歌いました」

厳しい環境下で3年間勤務。通常は半年から1年で配属先が変わるが中村氏は変わることがなかった。上司はコロコロ入れ替わり、新しく赴任した院長に違和感を抱く。

「私の中でちょっと納得できないことがあり、この院長に学ぶことが苦痛に感じました」

そのことを父親に相談し、実家の整骨院を継ぐ決断をした。だが中村が実家で過ごしたのは8か月間だけだった。

「私は、経営方法に新しい風を吹かしたくて“新規顧客を呼び込むためにホームページを作ろう”と提案したのですが、父は不要だと。父との意見の相違が続き、対立することが増えました。見かねた母に良い意味でも悪い意味でも『あなたはここにいるべきじゃない』と言われました」

中村は実家を離れるべきだと考え、神奈川の整形外科で修行を始めた。

「整骨院の仕事は大きなグループ会社での経験を通じてそのやり方を学びました。今度は別のものを吸収したかった。だから整形外科に行きました。医師の指示のもと、レントゲンを使って診断を行い、骨折や脱臼の経験を通じて得られる新たな視点が自分にとって有益だと感じました」

整形外科では医師の診断に基づいて治療を進めるが、整骨院ではそうした診断ができず、対応は担当者の判断に委ねられることが多い。中村は整形外科と整骨院で併用することでより早い回復が可能であると考え、3年間勤務した。

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