
2026年1月4日東京ドームでの引退を発表した棚橋弘至。『棚橋弘至ファイナルロード~縁(えにし)』として「棚橋がこれまでの闘いを通じて互いに想いを持つ選手との対戦」を行なっている。4日後楽園では田口隆祐とシングルマッチが行われた。
棚橋弘至は1999年4月に新日本プロレス入門、同年10月10日に真壁伸也(現:真壁刀義)戦でデビュー。

一方、田口隆祐は2001年9月に当時のスカウト部長・木村健悟から声をかけられ2002年3月に入寮。同年11月に矢野通戦でデビュー。
初対決は2004年5月13日後楽園、同年4月に開催された“第9回ヤングライオン杯”で優勝し勢いに乗る田口が棚橋の持つ“IWGP U-30無差別級王座”に挑戦。田口は「ヤングライオン杯を優勝し自信があったけど何もできず叩き落とされた試合」と振り返る。

2017年1月、田口は新ユニット“タグチジャパン”を始動。そのキッカケが同年1月5日後楽園、田口&棚橋&中西学組でNEVER無差別級6人タッグ王座を戴冠だった。
ユニット名“タグチジャパン”の由来は棚橋の勘違い。田口の応援サングラスの商品説明に「“タグチジャパン”を応援しよう!」と一文があり、それを見た棚橋が「チーム名はタグチジャパンか」とSNSでつぶやき、田口が拝借した。

2人の対決は2024年1月5日「NEW YEAR DASH!!」でNJPW WORLD認定TV王者・棚橋に田口が挑戦した以来、約1年3ヶ月ぶり。
試合はグラウンドの攻防からスタート、田口はロープワークで棚橋を疲れさせる作戦。それでも棚橋は田口の得意とするヒップアタックで反撃。田口も負けじとオーマイ&ガーアンクルで棚橋の足を攻める。最後は棚橋がスリングブレイドからハイフライフローを見事に決めて、3カウントを奪った。

バックステージで棚橋は「俺が2016~17年くらいかな?ベルトに絡めない、膝の調子も良くないって時にタグチジャパンに誘ってもらって、そんな中でいろんな形、違う形の盛り上げ方、レスラーとしてどのポジションにいても全力を尽くすという、とても大切なことを教わったのが田口。今日は本当に田口と戦えてよかった」と感謝を口にした。
記事/まるスポ編集部