
日本プロ野球のドラフト史に”事件”として語り継がれる「空白の一日」。これを聞いてピンと来るファンも多いのではないか。
甲子園そして東京六大学野球を沸かせた”怪物”こと江川卓投手が1978年から79年にかけて巨人入りする際に起こった一連の出来事。
江川氏が入団する代わりに、当時巨人のエースだった小林繁氏が阪神へ移籍することになるなど、大騒動になった。
その当事者である江川氏と、巨人に在籍していた同僚が当時のエピソードを直接語り合う機会が設けられた。
舞台は江川氏のYouTubeチャンネル「江川卓のたかされ」。ゲストには角盈男氏と鹿取義隆氏が登場した。
角氏は最初江川氏について、入団の経緯が経緯だけに「なんやこのやろう」とナイン全体でネガティブな印象を抱いていたと率直な感情を述べた。
初めて顔を合わせたのは球団幹部が選手たちに江川氏を紹介する際だった。ただ、その時に幹部から以下の言葉を受けたのだという。
「今度、江川が入ることになりました。みんなでエースにしてやってくれ」
それを聞いた角氏は自身も憤りを感じるとともに、「一番怒っていたホリさん(堀内恒夫氏)だからね」と”総スカン”状態だった。
しかし、怪物と称されるだけに実際に投げるボールを見た時にはすぐに納得。それでも角氏は78年に新人王を獲得していることもあり、「プライドがある」と”江川さん”とは呼ぶことはしなかった。
そこで、同い年で切磋琢磨していた西本聖氏・定岡正二氏らと話し合い、呼び名を「卓ちゃん」と年齢では1歳上ながらそう呼ぶことを決めたのだという。
一方で鹿取氏も角氏と同級生だが、鹿取氏が明大で江川氏が法大と東京六大学での対戦を続けていた関係もあり、アマチュア時代から旧知の間柄だった。
77年には第6回日米大学野球選手権大会の日本代表として一緒に戦い、遠征先では同部屋だったと鹿取氏は語った。そのため、卓ちゃんとは呼べず普通に「江川さん」と呼んでいた。
なお、78年の空白の一日の際に巨人はドラフト会議をボイコットしており、同年に鹿取氏はドラフト外で巨人へ入団した縁もある。
学生時代から知っていることから、当時在籍していた張本勲氏らからも「江川ってどうなんだ」と幾度となく聞かれたと語り、「微妙な立場でした」と複雑な思いだったことを明かした。
ただ、江川氏は実力で巨人のエースの座を掴む。81年には20勝で最多勝を獲得するなど投手五冠にも輝いた。
実働は9年と決して長くはなかったが、通算135勝をマーク。そんな功績から、”昭和の怪物”は球界のレジェンドの一人として今も活躍を続けている。
記事/まるスポ編集部