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昨季まで中日の指揮を執った立浪和義氏が自身のYouTubeチャンネルを開設することが明らかになった。
スタッフのInstagramにて、現役時代の背番号「3」にちなんだ3月3日にオープンすることが発表されている。
立浪氏は高校時代、PL学園で主将として甲子園春夏連覇を達成し87年ドラフト1位で中日に入団。当時の星野仙一監督に抜擢され、正遊撃手だった宇野勝氏を二塁にコンバートして1年目からリーグ優勝に貢献した。
現在でもセ・リーグでは史上唯一となる高卒1年目野手での新人王、そして同じく高卒新人としては初のゴールデングラブ賞という快挙を成し遂げた。
選手として中日一筋22年、通算2480安打をマークするなど活躍を続け”3代目ミスター・ドラゴンズ”を襲名。487二塁打は今もNPB記録としてその名を連ねている。
09年に引退後は解説者として長らく過ごし、自身も「ユニフォームを着たい」と指導者復帰に意欲を見せていた。
中日新監督の報道がされる際に候補へ挙がるなど、ファンからも待望論が出ていた。
風向きが変わったのが21年。春季キャンプで臨時コーチを務めると、この年のオフに与田剛監督退任に伴い、次の指揮官へと就任する。
当時から中日は長くBクラスでの低迷が続いていた中、ついに果たしたミスター・ドラゴンズの現場復帰。
甲子園での春夏連覇や闘将イズムの継承、そして落合博満監督時代の黄金期を経験してきたことから、”勝利の申し子”としてファンも再建の切り札として大きな期待を寄せた。
しかし、シーズンが始まるとその期待とは裏腹にチームは敗戦を重ねてしまう。
「打つ方は必ず何とかします」と就任会見で語るも機能しない打撃陣や、京田陽太選手(現:DeNA)に向けて「戦う顔をしていない」と横浜から名古屋へ強制送還したことなどが話題となり、次第にネットやSNSなどで批判やネタのような投稿であふれていった。
この流れは翌23年も続き、夏には「令和の米騒動」でさらに拍車がかかるなどその反応はどんどん加熱していく一方だった。
24年も低迷が続き、結果3年連続最下位に沈んだことから立浪氏はユニフォームを脱いだ。
同年オフのイベントでは「YouTubeは基本出ないと思います」とコメントし、別では「一歩引いたところから見守っていきたい」と解説業を行わない意向を示していたことから、動向が注目されていた。
今回開設するYouTubeチャンネルでは「緩い感じでお届けします」と告知がされていることから、一体どんな内容になるのか。
その内容は3月3日に明らかとなる。
記事/まるスポ編集部