元全日本キックチャンピオン石川直生「全盛期の自分を超えたい」引退後も挑戦し続ける理由とは…(前編)

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現役生活、ベルトは「全日本キックスーパーフェザー級王座」のみ。石川にはこれだけで十分だった

7年越し、念願のスーパーフェザー級王座獲得。そして試練の7番勝負開始

――200511月、全日本のスーパーフェザー級王座決定トーナメントに出場。翌年1月の王座決定戦で前田尚紀選手と対戦してドクターストップで勝利し、スーパーフェザー級の王座を獲得。デビューから7年越しのベルトを手にした瞬間はいかがでしたか?


石川:もちろん感慨深かったです。チャンピオンになって初めて一人前だとずっと思っていたし、その当時は全日本キックが最強だと思っていましたから。

選手時代、僕は66試合しましたが、ベルトは1つしか持っていない。だけど全日本キックのチャンピオンっていうのは僕の誇り。ベルトが何本も欲しいというより「俺は全日本キックのチャンピオンだ!」という誇りで十分でした。


――2008年「NAOKICK試練の7番勝負」がスタートし、1年間で7試合も戦っています。

石川:前年に「Kick Returnトーナメント」があって、僕はまた山本真弘に敗戦。死にそうなほど落ち込みました。

そんな時、小林聡さんという伝説のジェネラルマネージャーがいて、小林さんと宮田充(現:Krushプロデューサー)さんが「石川、もう1度お前を生き返らせたせるために試練の7番勝負をやろう」と。

宮田さんは死にかけていた僕に声をかけてくれたんです。もちろん、1年間で7試合できるかどうかなんて保証はない。

途中で怪我するかもしれないし、3連敗するかもしれない。だけどドン底にいた僕が7試合できるなんて…そんな機会を与えられる立場でもないので「やります」と言いました。

――それは即決だったんですか?


石川:もちろん。1年間で終わらせる計画でしたが、そんな上手くいくわけがない。

1月、2月、4月と3連勝。6月にタイ人のカノンスック選手と試合をするのにタイに行きました。でもタイに行ってる間、僕の最愛の母を亡くし、タイの修行を全部終える前に帰国。

母の葬式を終えて再びタイへ戻りましたが、カノンスック選手が計量オーバー。「そんなの関係ねえ!」と試合をしたけど最後はKO負けしました。ただ足を持って引っかけるような、向こうの反則もあったんです。

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