Krushの放送席から選手の的確な情報を発信、時には敗れた選手に優しく拍手を送るKrushエバンジェリスト石川直生。彼は命を削りながらリング上で戦う選手のバックボーンや試合の見どころなどを限られた時間内で伝える解説者だ。石川は自身もプロキックボクサーだった。20年間で66戦もリングに上がり続けたキックボクサー石川直生の半生を振り返る。
幼少期の夢はプロ野球選手
――幼少期はどんな子供でしたか?
石川:とにかく目立ちたがり屋でしたね(苦笑)。クラスでも目立った存在でした。
――小さい頃、スポーツはやっていましたか?
石川:小学3年の時に野球チームに入りました。父から「将来は野球選手になるんだぞ!」と言われ、本気で野球に打ち込みました。たまたまチームにキャッチャーが不在。監督からの勧めもあり、ポジションはキャッチャーになりましたね。体型的にはファーストだと思うんですけど…。
――野球はどのくらいまで続けたのでしょうか?
石川:中学3年までです。当時野球の強豪校だった「日本大学第一中学校」に入学。野球部ではレギュラーでしたが、プロ野球選手になる打者は打率7,8割以上、投手だと誰も打てないようなボールを投げないと難しい。「これじゃ、野球でプロになれない、どうしよう…」と悩みました。
――それは、いつ頃気づきましたか?
石川:中学2年生ごろですね。野球以外で興味があったのがプロレスです。キン肉マンやアントニオ猪木さんが好きで「強さ」に対して憧れがありました。
新日本プロレスや全日本プロレスを後楽園ホールで観戦、プロレスラーからたくさんの勇気をもらいました。
中学1年の時にK-1が始まったんですよ。全日本キックボクシング(=全日本キック)も盛り上がっていました。
そんな時、全日本キックの立嶋篤史選手が「年俸1,000万契約をした」というニュースが流れ、子供だった僕は「1,000万円あれば、とりあえず生活できるんだろうな」と思いました。
当時のK-1はヘビー級のみですが、キックボクシングだったら階級で分かれているので「チャンピオンになればヒーローになれるかもしれない」という夢が生まれましたね。