10月14日新宿FACEで「伊藤薫デビュー35周年記念大会」が開催。メインイベントで伊藤薫はマリーゴールド・ワールド王座&SEAdLINNNG・BEYOND THE SEA SINGLE王座の2冠王“太陽神”Sareeeとワンダー・オブ・スターダム王者のなつぽいとタッグを結成。Netflix「極悪女王」で話題の元全日本女子プロレス勢、ジャガー横田&アジャ・コング&渡辺智子と対戦。35周年記念大会を直前に控えた伊藤に、これまでの人生を振り返ってもらった。
――伊藤さんはレスラーになる前、柔道を経験してましたね。
伊藤:中学2年生の終わり頃までバレーボール部。本当はソフトボールや野球をやりたかったのですが、中学にソフトボール部がなかったんです。野球部はありましたが、当時は野球部に女子が入るイメージがなかった。母がずっとバレーボールやっていた影響もあり、友達と観戦したタイミングで入部しました。でも中学2年の時にバレーボール部の顧問と大喧嘩して、辞めてしまいました。
その後、同好会だった陸上部に入部。ランニング中に柔道部の顧問から「今年から柔道女子の大会ができるから柔道部に入れ」と勧誘されたけど断りました。でも次の日、職員室に行くと勝手に入部したことになっていて、そのままズルズルと柔道部に入りました。
――いつまで柔道を続けましたか?
伊藤:高校2年生です。じつは中学を卒業した時、高校進学せずに全日本女子プロレス(=全女)に入門する予定でしたが、女子プロレスのオーディションになかなか受からなかった。
私が「女子プロレスラーになりたい」というのを柔道部の顧問も知っていて、「オーディションに受かるまで柔道を続けてほしい」と。それで高校に進学。高校2年で全女のオーディションに受かり退学しました。
――憧れていたレスラーは誰ですか?
伊藤:もちろん長与千種さんです! 学校を早退して1986年11月7日大阪城ホールで長与さんとダンプさんの2度目の髪切りマッチを観戦しました。
――伊藤選手が全女に入った時、クラッシュギャルズは所属していましたか。
伊藤:ちょうど長与さんが全女を引退する1989年5月に入門、横浜アリーナの引退試合でリング設営と撤去をやらせてもらいました。会場の売店で仕事をしていて引退試合は見れなかったけど、泣きながらグッズ販売していたのを今でも覚えています(苦笑)。