来季の一軍監督に就任する中日・井上一樹氏 “ピンキー”の現役時代と指導者としての活躍を振り返る

中日の井上一樹二軍監督が8日、受けていた次期一軍監督の就任要請を受諾したと明かした。近日中に会見が行われる予定で、3年連続最下位から”強竜復活”を目指すことになる。

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現役時代は中日一筋20年、3度のリーグ優勝に貢献

井上二軍監督は、鹿児島商業高から89年ドラフト2位で投手として入団した。

ルーキーイヤーは支配下選手から外れた”三軍”からのスタート。育成選手制度は当時存在していなかったため、ファームの試合に出場することもできなかった。

93年途中に打者へ転向すると翌年のジュニアオールスター(現:フレッシュオールスター)でMVPを獲得した。

98年に出場試合数が100試合を超え頭角を表すと、99年には開幕から21試合連続安打を記録するなど130試合に出場し打率.296。リーグ優勝の原動力となり、星野仙一監督を胴上げした。

落合博満監督時代では2度のリーグ優勝(04年・06年)に貢献。06年には規定打席未満ながら打率.311をマークするなど活躍を続け、09年に現役を引退した。

中日一筋20年の現役生活。トレードマークはピンクのリストバンドで、自身の名前(一=ピン 樹=キ)とかけて「ピンキー」の愛称で親しまれた。

中日・阪神で指導者を歴任

引退後は即指導者に転身する。11年には中日の二軍監督としてファーム日本一へと輝き、落合監督が率いた一軍とのダブルでリーグ優勝を果たした。

20年から3年間は中日時代のチームメートだった当時の矢野燿大監督から請われ、阪神で一軍打撃コーチやヘッドコーチを歴任した。

昨シーズンオフには立浪和義前監督からのオファーで再び二軍監督として中日に復帰すると、ウエスタン・リーグで2年連続最下位のチームを2位へと引き上げ、ソフトバンクと終盤まで優勝争いを繰り広げた。

”コミュニケーションモンスター”と称されるほど、明るい性格の持ち主。選手と積極的に会話し、モチベーションを上げる指導でチームを活気づけた。

19年オフに阪神のコーチに就任した際は「スーパースターではなくて、一軍と二軍を行き来するエレベーター選手の心がどんなものか分かっています」と語るなど、選手想いの人柄も慕われる所以。

今回の一軍監督就任については立浪前監督からも背中を押されたと言い、受諾を明かした8日には「井上一樹にしかできないものを出していきたい」とコメントしていた。

”井上一樹らしい”新生中日ドラゴンズが来年どんな戦いを見せてくれるのか。自身の手腕をこの秋から発揮していく。

文/まるスポ編集部

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