【DDTプロレス MAO(中編)】ヨシヒコと怒涛のアメリカツアー、米国で初路上プロレス、そしてヨーロッパ遠征で感じたイギリスマット界の変化

2023年6月25日後楽園、MAO(左)vs平田一喜(中)vsヨシヒコ(右)のDDT EXTREME王座決定戦が行われた

――2023年3月末~4月のDDTハリウッド大会とAEW DARKについては前回の取材でお伺いしましたので割愛させていただいて、その後、同年7月に西海岸から東海岸に行かれました。これはどういう経緯があったのでしょうか?※2023年のDDTハリウッド大会とAEW DARKはこちらをご覧ください

MAO:これは4月のハリウッド大会の時に、ヨシヒコが物議を醸したんですよ。要はアメリカにプロレス評論家みたいな人ってメッチャいるじゃないですか。その中のちょっと有名な評論家がヨシヒコの試合動画を「もうプロレスは死んだ」みたいに言っていたので「ナメんじゃねえよ!」と。それで「ヨシヒコと俺でアメリカツアーして全部見返してやる!」っていう反骨心から始まりました。

――アメリカの興行は基本土日だけですが、7月はどれくらいの期間回ったのですか?

MAO:2週間で5大会。そもそも最初に呼んでくれたのはウェストコーストプロレスリング(West Coast Pro Wrestling)とCircle 6 Wrestling(=Circle 6)っていう団体。ここは繋がっているので、その2団体が渡航費を出してくれたんです。

4月のハリウッド大会の時に、1月に知り合ったバンドの人が「プロレスとバンドのショーがあるから来なよ」って誘ってくれて観に行ったら「あ、MAOだ。バックステージおいでよ」って。そこでCircle 6のプロモーターたちと繋がったんですよ。

1月にそのバンド系で繋がってなかったら呼ばれなかった。1月にバンド絡みで知り合いができて、4月にショーに誘われて単身一人で観に行って、バックステージで紹介してもらい繋がった。そして「ヨシヒコとアメリカツアーをしたいんだけど」って打診をしたら「ちょうど隔週でウエストコーストとCircle 6の興行があるからMAOも呼ぶよ」って約束してくれて、7月にその2つの団体からオファーがあったんです。

――その7月の5試合は全て、対ヨシヒコ戦だったのですか?

MAO:いや、ヨシヒコとはタッグも組んだし、僕のみのシングルもあった。言うなれば、この2週間はMAOとヨシヒコのアメリカツアーですね。ヨシヒコはロイヤルランブル戦にガンガン参戦していました。

アメリカに行くってアナウンスされると「この日は空いているのか?」って問い合わせがあります。やっぱり団体側も日本からの渡航費は高いから極力出したくないんですよ。でも、アメリカ国内のフライト代は出せるから、「アメリカにいるなら使うよ」っていうところが多い。

それで、ゲーム・チェンジャー・レスリング(Game Changer Wrestling、略称:GCW)で僕とヨシヒコを使ってくれて、GCWの傘下のジャージー・チャンピオンシップ・レスリング(Jersey Championship Wrestling、略称:JCW)と、あとは個人の大会も呼んでもらいました。それで5大会をやり通しました。

――そのあと8月にフィラデルフィアへ行きました。

MAO:それはもう、ほんとに偶然です。実際、7月は西海岸よりもフィラデルフィアにいた期間のほうが長かったんですよ。フィラデルフィアに2週間くらい滞在しました。平日はまるっきりフィラデルフィアのレスラーの家を転々とまわって過ごしていました。フィラデルフィアの近くに一番治安の悪いカムデンっていう都市があるんです。普通の日本人は立ち入っちゃいけない危険区域。そのとなり街に僕は滞在していたので、毎晩のように怖い思いをしていましたね。

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