プロレスリングWAVE所属。デビューして28年、様々なプロレス団体で活躍する宮崎有妃。得意のハードコアだけではなくコミカルな試合にも対応し会場にいる全ての観客を笑顔にする。だが彼女はレスラーなら誰もが求めるベルトへの執着がない。タイトルという記録ではなく、観客の記憶に「宮崎有妃」を刻み込む。その彼女に生い立ちからデビュー・海外生活・NEO時代・引退・現役復帰、そして今後の夢を聞いた(全6回)
小さい頃、周りは男の子ばかりでリカちゃん人形を怪獣と戦わせていた
――宮崎選手の生い立ちから教えていただけますか。
宮崎:生まれは愛知県安城市。家族構成は父母兄そして私の4人家族。父は男ばかり4兄弟の末っ子で、生まれてくる子供も男の子ばかり。私が初めての女の子。
父の両親が喜んでリカちゃん人形を送ってくれるけど、男の子と遊んでいたので女の子の人形遊びが分からなくて…貰った人形を怪獣と戦わせてました(笑)。
――リカちゃん人形と怪獣の戦いですか、なかなかシュールな遊びですね(苦笑)。
宮崎:父の兄弟の子供たちと遊んでいたので「なんで私はスカートを履かなければいけないんだ!」と思っていましたね。その時は「お兄ちゃんたちと同じものがいい」と感じていました。
その後、2歳で親が離婚し母親に育てられました。それで刈谷市に引っ越しました。
――環境が与える影響は大きいですね。ところで小さい頃、なにかスポーツをしていましたか?
宮崎:小学校の頃は町内でキックボール。半強制的に参加させられていました(苦笑)。真面目に取り組んではいなかったけど「運動能力は高い」と言われていました。中学からはバスケットボール。スラムダンクの影響ではないですよ(苦笑)。
足でボールを蹴ることは苦手。でも手を使うバレーボールやバスケットボールは好きでした。小さいボールだと苦手ですけど。