かつて中日ドラゴンズの投手として活躍し、落合博満監督時代の黄金期後半をエースとして牽引した吉見一起氏。
20年に引退後は解説者やYouTube、そしてコーチ業などさまざまなフィールドで活躍するとともに、引退後所属している日本プロ野球OBクラブでもオンライン・リアル問わずファンとの交流を積極的に行っている。
今回はプロ野球OBクラブ協力のもと、吉見氏の現役生活を2編にわたり振り返る。本編は、度重なる肘の故障から現役引退、そして現在の活動などをフォーカスする。
(取材協力:日本プロ野球OBクラブ、写真/文:白石怜平、以降敬称略)
13年、肘が悲鳴をあげトミー・ジョン手術へ
12年に5年連続二桁勝利を挙げた吉見は、翌年3月にワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の代表候補にも選ばれており、例年より早めの調整を行おうとしていた。
しかし、社会人時代にも手術経験があり、プロ入り後もたびたび悩まされてきた肘はすでに前年から悲鳴を上げていた。
「肘がおかしいなと感じたのは12年の途中だったんです。痛みが抜けないし、何かおかしいなとは思っていました。だた、違和感はあっても投げれるのでマウンドには上がっていました。さらにWBCや2桁(勝利)も継続したいので無理してしまったのが12年オフでした」
結果、WBCは辞退。シーズンでは2年連続で開幕投手を務めたものの、その後も肘の状態は上がらず、戦線離脱。6月に右肘内側側副靱帯の再建手術(トミージョン手術)と右肘関節内クリーニング手術を受け、長いリハビリ生活が始まった。
約1年間のリハビリ。翌シーズン中盤までの長い戦いが始まった。
「あの頃から考え方が変わりましたね。たくさん選手を見るようになりました。あとは、自分の中で焦りはなかったです。1年はダメだけども2014、15年ごろから投げられるようにと考えて過ごしていました」