ユーモア溢れるスタイルで観客を沸かせるアントーニオ本多選手。6.27新宿FACEのリング上、バチバチした闘いを好むEruptionメンバーの持つKO-D6人タッグ王座へ挑戦を表明した。パートナーとして招き入れたのは、海外のAEWで活躍する里歩選手と、戦うことはあっても同じチームになったことがないHARASHIMA選手だった。異色トリオで挑むKO-D6人タッグ戦。試合を間近に控えたアントーニオ本多選手に話を聞いた。
――本多選手は、元々大学時代に学生プロレスをしていたそうですが、どのような経緯でプロレスを始めたのですか。
本多:武蔵野美術大学の入学式が終わってポツンと1人でいる時、学生プロレスの人たちに声をかけられました。
彼らは部員を獲得するため、いきなり「プロレスをやりませんか?」とは言わないんです。「プロレス研究会ですけど、プロレスは好きですか?」と近づいてきます。
――ハードルを低くして寄ってくるんですね。
本多:そうです(笑)。「○○プロレスのチケットがあるので一緒に観戦しませんか?」的なことを話してきて、こちらが興味を示すと「ちょっとプロレスの練習もするんですけど…」とソフトな感じで勧誘してきます。
声をかけてくれたのが面白い人たちだったので、とりあえず入部届に名前を記入しました。もちろんプロレスを始める気は、全然なかったんです。
授業が始まり学生生活も刺激がなかったので、ある日電話をかけて「プロレス研究会」に行きました。すると集合場所が体育館。
なんとプロレスをしていました。最初は見学だけでしたが、練習も参加するようになっていきました。自分は小さい頃から柔道の経験があり、受け身がうまかったみたいです。
もともと「映画を作りたい」という目的があって大学に入ったのでプロレスをやるつもりは本当になかったです。ただ映画を作る才能がない、ということに気付き始めました(笑)。
学生プロレスの大会が、入部してすぐ6月にありました。1ヶ月くらい練習してリングに立ち、その時「すごいものに出会った」と実感しました。
昔から「演者として人前で何かをすることが楽しい」と思っていましたが、リング上で闘うのは、これまで経験したことがないくらいインパクトがすごかった。
大学生活でプロレス以上に楽しいことに出会えなかったですね。それで結果的に続けることになりました。
何個か映像作品も作りましたが、その才能はないな、と実感しました。プロレスは4年間続けました。大学時代の映像作品も全てプロレス関係のものばかりでした(笑)。
――その後、すぐにDDTに参加したのですか?
本多:いいえ、大学を卒業しても学生プロレス(=学プロ)以上に楽しいものがなかったので「学生プロレスOB」として活動していました。
在学中はアントニオ猪木さんをモチーフに「アントニオ本多」として、OBになってからは矢沢永吉さんをモチーフに「A.YAZAWA」として。
ある時、日本大学OBの趙雲子龍から連絡があり試合をしたいと言われました。当時OB同士のシングルマッチがあり、その試合をDDTのマッスル坂井さんが観戦、スカウトされました。