文藝春秋にて週刊文春やNumberの編集者として活躍。その後独立して「日本レスリングの物語」でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。著書に「1976年のアントニオ猪木」「1985年のクラッシュ・ギャルズ」「2011年の棚橋弘至と中邑真輔」等、プロレスファンなら一度は目にしたことのあるタイトルが並ぶ。そんな柳澤氏の心を20年以上魅了し続けているレスラーがプロレスリングWAVE所属、9.12大阪 10.10新木場で自主興行を行う「旧姓・広田さくら」だ。今回、柳澤氏に旧姓・広田さくらの魅力を聞いた。
――柳澤さんが広田選手に興味を持ったのは、いつ頃ですか?
柳澤:1990年代の団体対抗戦の頃に「女子プロレスがすごいぞ」というのを週刊プロレスで見て、女子プロレスというものに興味を持ち始めました。
それで2000年に入りGAEA JAPAN後楽園大会で長与千種さんと広田さんのタッグ「チームエキセントリック」を見たんだよ。相手は尾崎魔弓とKAORUのD-FIX。後楽園ホールの南側に階段があるでしょ?
【旧姓・広田さくら(1)】テレビで観たプロレスの技を「私も掛けられたい」
――オレンジ色のシート席ですよね。
柳澤:そう。私のすぐ近くの階段を、広田さくらと長与さんが尾崎とKAORUに蹴落とされて落ちていった(笑)。
――受け身が上手くないとできないですよね。
柳澤:「なんでこんなことをやらないといけないの?」って怖くなりました。危ないもん(苦笑)。でも、広田さんはケガをしない。膝にサポーターを巻いていないレスラーは少ないですよ。Numberが2002年日韓ワールドカップ特集していた時期に、「取材に行こう!この人に会いたい」と思った。私の仲良しのカメラマン渞忠之(みなもと ただゆき)を連れて当時新横浜にあったGAEA JAPANの道場に行き、広田さんの日本代表コスプレの写真を撮った。現在、渞忠之は広田さくら公認ファンクラブのオフィシャルカメラマン。素晴らしいカメラマンですよ。
――Mr.Childrenの映像も撮りましたよね。
柳澤:そう、ミスチルの桜井和寿さんと仲良し。渞さんは2002年から2021年まで20年間、広田さくらを撮り続けてくれてます。
――広田さんのファンクラブは柳澤さんが会長です。広田さんの自主興行のたびにクオリティーの高い雑誌を製作する「ファンクラブの枠を超えたクリエイター集団」のように感じます。
柳澤:そんなに熱心に活動してるわけじゃないんですよ。広田さくらが出る試合を毎試合追いかけて横断幕張ったり紙テープ投げたりはしない。おもしろそうな試合を時々観に行くだけ(苦笑)。
でも、ファンクラブでは「広田さくら」というプロレスの概念をことごとく叩き壊しながらプロレスの領域を広げている天才レスラーを考えているんです。一番考えているのは私だと思うけど(笑)。広田ファンクラブツイッターは私が全部書いてます。他のどのメディアよりも早く広田さん情報をまとめているし、自主興行のたびに『ナンダー』とか『別冊きのとめぐ』みたいな、広田ファン向けのパンフレットや雑誌を作ってます。