7.1 TDCホールで「GLEAT」の旗揚げ戦を行ったリデットエンターテインメント。それまで選手のマネジメントや単発の興行、NOAHの運営等バックアップを行ってきた。そして満を持して団体を設立。前編では鈴木社長の生い立ちからプロレス事業に関わるまでをお伝えした。後編は田村潔司との出会いから今後の展望まで。
――NOAHさんの経営は約1年間、いろいろご尽力されたと聞いております。
鈴木:組織で大切なことは「みんなが同じ方向を向くこと」で、NOAHさんには三沢光晴さん以上に尊敬できる経営者にこれまで出会わなかったのだと感じました。
私は三沢さん以上に尊敬されなくても、三沢さんと同じくらい私の意見を聞いてくれないとこの会社がダメになると思いました。そこで厳しいようですが「私の意見を聞くか、もしくは辞めるか」を全選手・全スタッフに問い、しっかり一人一人と話をしました。それでみんなが「私を信じてやってくれる」と決めてくれました。
とにかく人の意見を聞いて考える余裕はなかったので、瞬時に判断し様々なものを進めていきました。前を向いて全選手・全社員がスクラムを組んだ結果、成果が1年で出ました。
ただ「NOAH」という巨大な組織を、もっとブレイクスルーさせるには、リデットエンターテインメントとして映像の充実や資金的な面で力不足の面があり、そこを担ってくれるところを探していました。
私はABEMAとNOAHさんは親和性があると思っていました。武田有弘さん(現在 株式会社CyberFight取締役)に話をしたらABEMAに知り合いがいて、その方に相談したらサイバーエージェント社長の藤田晋さんの耳に入り、NOAHさんがサイバーグループに入りました。
――重要な橋渡し役をされていますよね。
鈴木:2019年前半は苦しかったですが、後半は都内の興行も満員が出てきて、サイバーさんに良い形でお渡しできたと思います。
新日本プロレスさんが暗黒期から回復するまで約7億円かかったと話を聞いたことがあり、それは弊社にはできない。ユークスさんやブシロードさんは組織としてご尽力されたと思います。
ユークスさんは「いかに無駄を省いてファンの声に耳を傾けるか」、そしてブシロードさんが引き継がれて拡大していった。それを見ていたし武田さんからも聞いていました。選手のポテンシャルもあり、さらに登っていくためにはどうすれば良いのかを考えた時、サイバーさんに引き継ぐことができて良かったです。
タイミングも大切で、この話が1週間遅れていたらコロナ禍になり弊社では完全にアウト。そういう意味でも良いタイミングでお願いできましたね。サイバーさんに加入したからこそ社会がコロナ禍で右往左往していた時期、NOAHさんはいち早く次の手を打つことができた。本当に「神がかり的なタイミング」でした。