
昨年まで西武の監督を務めた松井稼頭央氏。現在はMLBのキャンプ取材やトークイベントに出演するなど、元気な姿を見せファンを安心させている。
現役時代は日米通算2705安打をマークし、その華麗なプレーは野球少年たちの憧れであり続けた。
PL学園高校時代に甲子園に出場した際は投手だった松井氏は、93年ドラフト3位で西武に入団。この時からすでに野手としての才能を見込まれての指名だった。
類まれな身体能力と猛練習で早くも2年目の95年から69試合に出場すると、翌96年には全試合出場。以降、MLBに挑戦するまで1試合も欠場することはなかった。
その間リーグMVP1回に最多安打2回、そして盗塁王も3回獲得。2002年には「3割・30本・30盗塁」のトリプルスリーに輝くなど、球界を代表するスター選手へと瞬く間に駆け上がった。
04年からは日本人の内野手として初のMLB挑戦に。ロッキーズ時代の07年にはナ・リーグ優勝へと導き、ワールドシリーズでは当時レッドソックスに所属していたかつての同僚・松坂大輔投手とも対戦した。
11年に日本球界に復帰すると、同じく復帰を決めた岩村明憲と共に楽天に入団。12年から主将の座に着くと、13年にはチームを球団初の日本一へと導いた。
楽天では17年までプレーし、18年には15年ぶりに西武へと復帰。このシーズンをもって日米25年の現役生活にピリオドを打った。
翌年からは西武の二軍監督に就任し、次期監督候補として常勝レオの帝王学を指導者として経験することになる。22年にヘッドコーチを経て辻発彦監督の後を継ぎ、23年からは満を持して一軍監督として指揮を執った。
しかし、PL学園時代から常に優勝を味わってきた男からは想像できない結果が待っていた。初年度は開幕からすぐに主砲・山川穂高(現:ソフトバンク)不在の戦いを強いられるなど、得点力不足に悩み5位に低迷。
再起を期して臨んだ昨年も苦戦が続き、最下位に沈んでいたこともあり、5月26日の試合後に休養が言い渡されそのまま退団となってしまった。
松井氏は名球会の公式YouTubeチャンネルで当時のことを語っている。休養後何していたかを問われ、
「ライオンズの試合もパ・リーグの試合も見ていました」と、愛弟子たちの戦いを常に気にしていたという。
その間他に行っていたこととしては「ライオンズの関係者としてスカウトと一緒にアメリカに2週間ほど見に行っていました」と明かし、
「今のアメリカ野球の現状、どういう助っ人選手を獲るかなどを野手目線・監督目線で見ていたので、すごくいい勉強になりました」と振り返った。
現在は学生野球資格も回復してコーチ業にも挑戦し、これまで主に監督業だったが幅を広げつつある。
プロ入りから昨年までユニフォームを着続けた松井氏。今年は初めてグラウンドの外から野球を見ることになり、「解説の仕事など色々なことにチャレンジしていきたい」と語った。
記事/まるスポ編集部