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大学時代、持病が悪化し「健康のために」名門ジムに入会。愚直な青年は身体作りに魅了され新日本プロレスの門を叩いた。元新日本プロレス所属・井上亘。IWGPジュニアヘビー級王者としてBEST OF THE SUPER Jr.を制覇した井上はヘビー級に転向、G1 CLIMAXにも出場した。だが2013年に「頚椎椎間板ヘルニア」と「右変形性肩関節炎」が発症し長期欠場。2014年2月「中途半端な回復では復帰したくない」と引退を発表。現在は新日本プロレス広報宣伝部&興行事業部という肩書きを持ち、プロレスを多くの人に届けるために日夜奮闘している。今回、井上亘のキャリアを振り返ると共に、彼が力を入れている「TTGC(=The Third Generation Club)」について聞いた。
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同期は柴田勝頼と棚橋弘至、厄介な雑用は自分に回ってきた
――練習生時代で辛かったことは?
井上:練習生の中で一番年齢が上だったので頼まれた事が多かったです。先輩から頼まれたことはちゃんと出来る奴だと認められていたのか、はたまた単に頼みやすかったのか(苦笑)。
――リーダー的な存在だったのですね。
井上:リーダーとは全然違いますけど、私は先輩に言われた用事を正確に出来たと思います。その流れから真壁さんが怪我で巡業についていけなくなった時、真壁さんから「井上なら任せられる!」と言われ長州さんの付き人をしました。
しばらく長州さんの付き人をした後、今度は柴田選手が怪我か何かで巡業についていけない時に藤波さんの付き人をやりました。そして最後に佐々木健介さんの付き人をしました。そういえば高岩さんが怪我をした時に木戸さんの付き人をしたこともありました(苦笑)。
――佐々木さんの付き人はどのように決まったのでしょうか?
井上:佐々木さんの付き人だった吉江豊さんの海外遠征が決まりました。寮でたまたま吉江さんと二人きりになった時、世間話からいつの間にか佐々木さんの付き人の話になりました。
最初はお互いに離れて座っていたはずなのに、この話になったら吉江さんが私の隣にススっと寄ってきて、「井上なら佐々木さんの付き人出来るよ!な!なっ!?」と詰め寄られまして。
私は吉江さんの目線を外そうと下を向いたときに、吉江さんの相変わらずブッとい太ももがあるなぁと思ったことが今も記憶に残っています。(苦笑)
――佐々木さんの付き人は何年間続けたのでしょうか?
井上:約3年間です。幸いなことに1回も殴られずに付き人から卒業出来ました。もしかしたら私は優秀な付き人だったかもしれません(笑)。
現在、いろいろな団体に出入りをしてプロレス界を見渡すと、「付き人制度」は薄らいだように思います。今思えば、貴重な体験でした。あの経験をしたことで今の私に力を与えてくれます。それは仮に今の私が危機的な状況があっても「あの時はこんなもんじゃなかったぞ!」と思うと頑張れています。
――井上さんがデビューした頃は格闘技ブーム、2003年大晦日に民放3局が格闘技を中継していました。
井上:試合はしていませんが、私も格闘技の練習はしていました。格闘技の練習中、私はおもしろいと思うものがあり、いろいろな練習に打ち込みました。1回、試合に出る話もあったのですが、目の手術をした後だったので試合をしませんでした。どの分野も甘くはありません。