【全日本】11年目へ向けて新たな一歩を踏み出した芦野祥太郎「“勝てそうで勝てない”戦いから脱却し“勝つ芦野”を」

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名門・日本体育大学レスリング部出身、馳浩の推薦でWRESTLE-1に入門した芦野祥太郎。2015年2月13日、後楽園ホールで熊ゴロー(現:羆嵐)相手にデビュー。だがそのWRESTLE-1は2020年3月で活動停止。戦いの場を求めた芦野は全日本プロレスへ。WRESTLE-1と全日本プロレスで共に5年間、プロレスラーとして時を刻んだ芦野祥太郎。11年目に向けた展望を聞いた

――デビュー10周年おめでとうございます。

芦野:2015年2月13日レスラーとしてデビュー、あの時には想像できなかった“全日本プロレス”所属で10周年記念試合。10年前のデビュー戦と同じ場所と同じ対戦相手、ただ羆嵐が”フリー“の立場。WRESTLE-1は解散したけど、レスラーを続けていれば交わることができるんだと。

――“芦野祥太郎”の10年を振り返っていただけますか。

芦野:デビュー時に描いていた2025年の“芦野祥太郎”はWWEにいますね。元々、海外で戦いたい気持ちが強かったですから。ただ現状、全日本プロレスで戦っている自分も満足しています。

WRESTLE-1が無くなること、デビュー当時は想像できませんでした。ただ「本当に団体が存続するのだろうか?」という危うさが選手内で漂っていました。だからこそ自分たち若手は必死でした。「自分たちが団体を引っ張って行かなければ、いつ無くなるか分からない」と。

――WRESTLE-1は若手同志の殺伐とした争いがあったように感じます。

芦野:今の全日本プロレスも“ゼンニチ新時代”を掲げ、年齢もキャリアも若い選手たちがトップ戦線で戦っている。自分がWRESTLE-1で戦っていた頃と同じような匂いを感じます。

ただWRESTLE-1で自分たちが戦った頃よりグレードアップしたものを全日本の選手はリング上でファンに見せています。

身体も大きく、試合内容も高いレベルの戦いをリング上でお客さんに見せることができるのが“今の”全日本プロレス。それは素直にすごい事だと思います。

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