阪神・淡路大震災から30年 藤井康雄氏が田尾安志氏と振り返ったブルーウェーブ連覇の2年間「我々が逆に力をもらった」

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今年の1月17日で阪神・淡路大震災から30年を迎えた。

震災が起きた1995年、被災地の一つである神戸を本拠地とするオリックス・ブルーウェーブ(現:バファローズ)は「がんばろうKOBE」を掲げ、シーズンを戦った。

前年の94年に彗星の如く現れ、史上初のシーズン200安打を放ったイチロー氏(マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)が打線を牽引するなどチームは勝利を重ねた。

この年にリーグ優勝を果たすと翌年には巨人を破り日本一に輝き、神戸市民のみならず日本中を感動の渦に巻き込んだ。

選手としてプレーしたメンバーも当時のことを語っている。

主にクリーンアップを務め、95年のリーグ優勝の際は一塁ゴロをさばきウイニングボールを掴んだ藤井康雄氏は、田尾安志氏のYouTubeチャンネル「TAO CHANNEL」で先日改めて振り返った。

発生がキャンプインの約2週間前というタイミングもあり、選手や球団スタッフたちが居を構えるエリアはライフラインの復旧すらもままならない状況。

そんな中でそれぞれ自主トレを行える限りやっていた。

「キャンプには各自がいろいろなところから(当時キャンプ地だった)宮古島に入る予定だったのですが、全員集まりましたね」

藤井氏はじめ選手たちは「このような状況で野球できるのかな」という不安な心境もありながらも、当時の宮内義彦オーナーや仰木彬監督の強い想いが伝わってきたという。

シーズンは本拠地を神戸で戦い、「野球でみんなに勇気を与えるということだったんですけども、お客さんがたくさん球場で応援してくれて我々が逆に力をもらいました」と述懐した。

この年の印象深い試合に挙げたのが、優勝を決める前の4戦。

マジック1で迎えた9月14日の近鉄戦、そして翌15日からのロッテ3連戦。いずれもグリーンスタジアム神戸(現:ほっともっとフィールド神戸)で行われた。

「我々としてはこの神戸で、被災した方々に優勝の瞬間を見せたいという気持ちは全員持っていましたね」

しかし、ここでまさかの4連敗。19日敵地での西武戦へと持ち越しになったことを苦笑いを交えながらそのプレッシャーを語った。

ただ優勝を決めた後、映像で目に入ってきた神戸の街を見た時、「本当に感動しましたよ」と語った。

日本シリーズでは野村克也監督率いるヤクルトに敗れたが、翌年に長嶋茂雄監督のもと”メークドラマ”でセ・リーグを制覇した巨人に勝ち、ついに日本一を勝ち取った。

「街の復興は2年では済まないのですが、2年かけて神戸で優勝を見せることができた。神戸でジャイアンツを破って日本一になったというのが一つの区切りになったと思います」

以降オリックスは長い暗黒期や球団合併もあったが、21年から3連覇を達成。昨年Bクラスに沈んだが今年は巻き返し、2年ぶりのリーグ優勝をまずは目指す。

記事/まるスポ編集部

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